『手は口ほどに発言す』〜玄花
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指先が彼女の髪を柔らかくなでる。
それははじめて会った頃から徐々に緩やかに、あたたかく変わっていった。
「お前の髪はやわらかくて気持ちがいいな」
吐息混じりに吐く呟きは、彼女の耳朶に痺れを届ける。
いつまで、こうしてればいいのだろう。
休息する時間が見つからず倒れられたら困るという理由でか、玄徳だけでも休ませようと臣下たちは、花へ「玄徳を休ませてくれ」と告げて部屋へと放り込んだ。
だがこの状態ではペットのようなものなのでは?なでられながらそう気付く。
「…玄徳さん」
「うん?」
表情はご機嫌だ。
形だけでも休んでいようと寝台に腰を下ろし、隣には花。手のひらはずっと彼女の髪へと。遠くなく、でも決して近くもなく。この微妙な空間が埋まることは まだ ない。
「あの、今日はゆっくり休んで欲しいんです…けど…」
「…ああ、休んでるぞ」
なでなで
「休んで、ます…か?」
「…ああ、これ以上にないくらい休んでる」
なでなで
「あの、あんまりなでられると、背が小さくなりそうです」
「そうなのか!?」
ピタリと手のひらが止まり、彼の表情が固まった。
「だから翼徳も雲長も嫌がっていたのか…?」
「え、あの、玄徳さん…」
なりそう なだけで、実際そうなると続けていないのに、彼は真顔で悩み始める。
しょうもない言動で悩ませてしまう。おそらく他の誰かに同じ事を言っても笑い飛ばす人が多数を占めるだろうに。
「玄徳さん、わ、たしっ…」
冗談なんですよと軽く言えたらいいのに、場の空気がそうさせない。
圧し掛かる重さは罪悪感。
「っ、あの…―――――
「それでもお前の髪に触れたいんだ…」
え?
言葉を遮られて言われたのは、予想の方向とは違う熱を帯びた告白。
頭頂部から流れた指先は彼女の髪をひと房すくう。
くすぐったい感覚が静電気のように伝わる。
「柔らかい…それに、細いな」
「そ、ですか…?」
さらさらと毛先を流し、またひと房捕まえる。
まるで遊ばれている。
「…くすぐったいです///」
我慢しきれず彼女は身をすくめて口にした。
髪をそんなに触られたこともなく、その上男性の指先に…と思うと、胸がざわざわする。触れそうで触れない痺れを伴うその行為への耐久性はほぼない。
「じゃあ、ちゃんと触ってもいいのか?」
「どうぞっ」
「背を縮めさせずに、こう、髪だけじゃなくとも…いいのか?」
「…え、は、はい」
すっかり「触れる」こと前提の進め方に、彼女はたじろいだ。
「触れ」たいと思われてるのが、胸に熱を灯す。
「玄、徳さん…?」
「…花」
伸ばされた腕が、ゆっくりと彼女の腰を引き寄せる。
そのまま胸に倒れこむように腕に抱えられ、耳朶裏に吐息があてられる。
鼓動が伝わってくるような距離で、声が息に変わり音が出ない。
今、兄弟か親子かのように話したら…
この甘い空気が霧散してしまう。
今だけ。
シロップに浸った果物のように。
もう少し。
開けてぱくりと食べられるまで。
器用な指先が釦に届くまで。
彼の休息がそれであるならば。
『羽衣、恋衣』〜玄花
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「・・・お前の話のようで、怖いな・・・」
寝台に横になりながら「何か、お前の国の話を聞かせてくれ」と珍しくねだられて、口にした。
彼女の「今」が投影されているのか、ものがたりを聞く様はまるでこどものそれだった。
「ものがたり・・・伝説だったと思いますよ、絵本にもなってます」
寝台と相対して椅子に腰をすえた彼女は、空を見ながら「えっと・・えっと・・・」と思い出そうとしている。
意識だけがそちらに向かっているはずなのに、そこからいなくなってしまうんじゃないかと思える不安が彼の胸を締め付ける。
「花・・」
もう彼女を部屋に返さないといけないような時間だというのに、口唇が固まる
元々は仕事の話だったというのに、早く休めと強要され、他愛もない話に時間が奪われていく
いつまで ここ にいてくれるのか
いつまで ここ で微笑んでくれるのか
「・・・その、天女は戻ってくるんだろうか?」
身を起こして、真摯なまなざしを寄越す。
彼女は、授業でこの話を聞いたときに挙手してまで先生に質問していた男子を思い出した。
先生はあのとき、どう返したんだろう。
「帰ってくる」?
「もう帰らない」?
ものがたりをよく思い出すと、彼女はゆっくり答えた。
「天女にひどいことをしなければ、戻ってきますよ」
だいぶ時間を要した答えだっただけに、彼は胸をなでおろした。
自分のことじゃないというのに、ものがたりにあまりに似た現状で、天女のような彼女がそこにいて、羽衣を制している自分がここにいる。
正直、このものがたりを聞いて胸がざわめく。
「約束を破ったり―――
お前を守る。お前が帰るそのときまで・・・
「無理なことをさせたり―――
もうその本を開く必要がないように・・・
「自分勝手に振舞ったり―――
民の為に、仲間の為に・・・
彼女の言葉に続くように反芻する
ひとつひとつ確認の意味も込めて、不安を徐々に消してゆく
次の言葉を待っていると、視線を逸らされこう言った
「あと、天女だけを愛さないとダメなんです」
「あ、愛さないと・・・戻って、こないのか?」
こればかりは、彼は動揺を隠せない。
手を出さないように、決して一線を越えないようにと振舞って、それが逆効果になるとは思ってもみなかった。
これが「ものがたり」への質問であることを、軽く思考から抜けて、彼の表情はどんよりと曇ってしまった。
「・・・好きな人の元になら、帰りたいって思うんじゃないでしょうか・・・」
そうだ。
あの時先生はそう言った。
ものがたりを読んで、道徳を学んで、でもまだ小さい子供に足りなかった「恋愛」を、先生はその感情を引き合いに出してきた。男子は納得したけれど、その頃の私はものがたりの中だけで完結してしまっていた。
「・・・お前は、どう思う?」
逸らしていた視線が引き戻される
ものがたりの話なのに、むかしむかしのものがたりのはずなのに
「今」と重ねてしまったらダメなのに
「・・・お前が天女だったのなら、愛されたいと思うか?」
伸ばされた腕が、手のひらが、指先が頬に触れる
やがて熱を帯びたものが落ちて、その指に拾われる
「泣かせるつもりはなかったんだが・・・そう悩まないでくれ」
視界が滲む。
どうしよう、どうしたいのだろう、どうすればいいんだろう
「まだ・・・分りません・・・」
天女は羽衣を隠した彼を愛しただろうか?
強引に求めて、人へと堕とした彼を
飛べないようにと、閉じ込めた彼を
それでも退路を塞がなかった彼を
それでも愛する人に愛されるのならば・・・
「ああ、そうだな」
いつかこの目の前にいる人は誰かと結ばれる
そういう立場の人だから
ならば「愛」さずにいよう
「愛」が強くなってしまったら
その「愛」に押しつぶされてしまうから
彼女は、沈黙が支配したその部屋をゆっくりと後にした。
「花・・・俺は、お前の望むようにありたい・・・―――
主人の消えた椅子に向かい、彼は願いにも似た言霊を己に落とした。
どうか彼女が辛くならないように、と
『地平を臨んで』〜玄花
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まだ夜の帳が降りている頃、馬が小さく嘶いた。
ひんやりとした空気に息が白く溶けてゆく。
武骨な手に引かれて、その手の、指の温もりに頬が緩んだ。
「眠くは、ないか?」
普通ならまだ夢の中にいるであろう時間。
眠る前に「見せたいものがある、ちょっと早く出かけたいんだが・・・行かないか?」と恋人同士のそれのように耳打ちされた。
彼女は断る理由などなく、嬉々として快諾していた。
「ちょっと、眠いです」
まだ身体の芯は寝てる状態でほこほこ温かい。
早朝の外気に晒され除々に熱は冷めていく。
なんとか髪は梳かし、身なりは整えたが眠さまでは取り去られていない。
「馬に乗ったら支えてやろうか?」
暗に腕の中で寝てもいいと気を使われ、彼女はぐぐぐと頷くのを堪えた。なかなか無いデートだというのに寝ていられない。もったいない。と彼女は自分の頬をつねる。
「・・・・ひたぃ」
「お、おい、花・・・そうやって無理に起きるくらいなら―――
誰もいない馬屋なのをいいことに、その体躯で出入り口からの視界を閉じてまた耳打ちする。
―――目が覚めるくらいの口付けをするぞ?」
柔らかで甘い低音が耳朶を舐めるように伝う。
彼女は背を走る電流のような感覚に身を反らせた。
「!!??」
言葉だけで白黒させる表情を見やると、彼はひとつ息をつき視界を開けた。
甘い空気は嫌いじゃない。
むしろ好きだが無理やりはよくない。
ある程度は聖人君子でありたい、ある程度は。と良心に身を寄せて彼はまたひとつ我慢を溜め込む。
「出掛けようか」
鞍を乗せ、既に出発の準備をされている灰色の愛馬が、鼻息荒くまだかまだかと急かしている。
彼女はお願いねと首を撫でると、愛馬は眠さが1ミリもないような活き活きとした瞳を瞬きさせる。手綱を掴み、まだ覚束ない手つきで鞍へと上る。外套がなければ露になってしまう脚に、彼はこれからどうやって隠していこうと目を据わらせた。
「玄、徳さん・・・乗れました!」
夢中で乗り上がり、据わった視線に気が付かない花。
「ひとりで乗れるようになったのか?」
「えと、ちょっとだけです」
戦いのない間、少しずつ雲長に馬の乗り方の師事を仰いだ。それくらい当然だと雲長は最低限は仕込んでくれた、彼女がひとりで乗ることはほとんど無かったが。
「だが、馬もいなかった所から来たんだ、成長したな」
そう言うと彼は、よっ、と手馴れた手つきで鞍へと乗る。
そして小さい子を褒めるように、父のような安心感を与える微笑みが、いつもの手のひらと共に降る。
その手のひらに撫でられると、彼女は柔らかく綻ばせた。
「何処まで、行くんですか?」
「まだ、秘密だ」
包み込むような体制で彼女は顔を上げ訊ねると、唇へ人差し指を添えた彼が口の端を引き上げた。
ゆっくりゆっくりと城門へと進む。
途中事情を知ってるらしい門兵が重く閉じた門を押し開ける。
隙間から覗いた暗闇が、またひんやりとした空気を流し込む。
「お気をつけて」
「ああ、昼前には戻る」
まだ民兵上がりのような兵がたどたどしく辞儀をする。
馬はやがて足早になり、軽快なリズムで駆ける。
「辛くは、ない、か?」
駆けながら、彼は花の耳元でそう訊ねる。
馬上でまるで抱かれているようで、彼女はそんな錯覚した自分に顔を赤らめた。
「は、い、大丈、夫ですっ」
としか言えず、黙り込んだ。
そして少し陽の明かりが漏れてきたのを光源に彼女を見やり、赤らめているのを確認すると「ああ!」と気が付き、一寸遅くに、残念ながら彼も把握してしまった。
やがて目的の場所に近付いたのか、足早だったそれは緩やかにさくさくと草叢を掻き分けた。道の多いところは土の香り、草の生い茂る場所はやわらかな緑の匂い、雨が近付くと感じるようになった水の匂い。
彼女は黙り込みながらも視界を広げ、世界を感じた。
帰るために必要だった本も今は消えてなくなり、ここに残った自分は大切なひとと共にある。
本を見つけたのは偶然だった。何も考えずに落とされたように飛び込んだ世界には、今も背を抱きとめてくれているこの人が、その懐に腕に抱えてくれた。
そう思うと、その本を開いたときから、偶然が全て運命だったんじゃないかと思ってしまう。
「花」
囁くその声も温もりも隔てるものが何も無い。
「花?」
すぅ・・・とゆっくりまだ暗がりの朝露の混じった大気を吸う。
「っはい!」
「・・・もうすぐ、着くぞ」
地平線が視界に入る果てまで薄く光る。
あちらは赤土の大地なのか、遮るものがまるでなくなった見晴らしのいい丘に愛馬を止めて、彼は軽やかに大地に降り立つ。
そして、彼女を迎えるように腕を伸ばして「おいで」と笑う。
それはまるで、いつかの本を開いたときの胸の高鳴りによく似て、彼女は改めて眼下で腕を伸ばす彼をいとおしく想った。
「どうかしたのか?」
「いえ!」
怪訝そうに眉根を寄せた彼の腕に、掴まると、自ら降りようとしていたそれを抱き上げるようにまた抱えられた。
「待っていると、見損ねてしまうんでな」
悪い悪いと微笑みながら、隙間無く抱きかかえられ、彼女は動揺を隠せない。
そのまま丘のてっぺんへと進むと、先ほどの光る地平線が金色に広がる。
「間に合ってよかった」
安堵し息を漏らす。
彼女は抱えられたまま彼と同じ高さから今までに見たことのない世界を視た。
写真でも映像ででも表現できないパノラマに、肌が震えるのを感じた。
確認出来る視野の限界まで、赤土に反射した金のラインで埋まる。
「き、れいですね・・・」
感嘆のうまく伝わる言葉が見つからない。
綺麗、美しい、素敵、ドキドキする、そんな語呂では伝わりそうにない。
まるで夢のようだと、二重の意味でそう感じた。
「いつかは共に見たいと思っていた・・・」
「・・・一緒に?」
ようやく彼女の足が大地に降りると、彼は眩しそうな目でそう呟いた。
視線を上げて彼女はオウムのように疑問を返す。
「俺が知る限り一番美しい場所だ、特にこの時間が、な」
「・・・はい、すっごく綺麗です」
「この世界に残ってくれて・・・その、なんだ」
あー、うー、と唸りながら、彼は話を続ける。
「・・・ありがとう、としか言えんな・・・」
困ったように笑うと、またいつものように手のひらを髪に添える。
撫でられると思った彼女は構えずに微笑んだ。
だがその手のひらは後頭部に添えられて引かれ、やがて彼の胸元に納まった。
「お前がいてくれて良かった―――・・・」
消え入りそうな言葉が大気に溶けて、その言葉に触れた彼女は玄徳の着物に皺を作り身を寄せた。
果てなく広がる金色の世界は、太陽を引き上げ緑を芽吹かせる。
今日も。明日も。いつまでも。